回顧の日

ぱっとしない日々が続いております。

心浮き立つことがないな~。そういうときもあるさ。

ね、シジュウカラ

 

夏の終わりごろ、卒業40周年の同窓会のハガキがきた。

学校は入るまでは思い入れ満タンだったけど、卒業してからは以上!みたいなことになって、同窓会も気にしたことがなかった。毎度、お知らせもあけずにゴミ箱に直行。

だからこのはがきも当然直行。そしたら、唯一今でも密に付き合っている親友が、いかない?と言ってきた。ハガキ捨てちゃったよ~。でもまあ、会合に参加できないだけで、学校内や通学途中の風景を懐かしむのも悪くない。いきますか。ということで当日を迎えた。

 

当然のことながら、今でも夢にでてくる駅の裏道を通っても、40年の月日はほぼすべてを変えていた。当時集まった喫茶店も通った銭湯も公衆電話を使った雑貨屋ももうなにもない。

二人で「こんなじゃなかったよね」「ここだっけ?」「こっちだっけ?」といいながら、部活の日々、カフェテリアで語り合った日々、先生の悪口・・。あふれる昔話のうちに到着。受付で訳を話すと、その場で会費を支払えば入れてくれるという。

 

この大学を選んだのは、聖歌隊があったから。聖歌隊で歌うのが当時の憧れだった。

聖歌隊で歌っていたチャペルでの礼拝は、シンプルなステンドグラスを通した光が柔らかに降り注いで、しみじみとした感慨があった。

 

キリスト教についても若かりし頃は真剣に勉強した。勉強した結果、違うという結論には達したが、青春の日々は歌と思想の探求と本と音楽に彩られていた。友と知り合えたことも財産となった。今思えば豊かな日々だったが、思慮の足りないこともたくさんやったのだと思う。たくさんの思い出が詰まっている。

 

入学してすぐに入った寮では、全学示し合わせてのストームという行事があって、何も知らないイナカッペのイモ娘はあまりの驚きにとんでもないところに来てしまったと、夕暮れの外国人教師館の階段で泣いたものだった。いい時代だったよね。

 

しかし、時流によって、学内の建物の写真は大学の許可が必要となるので、SNSにはアップするなとのお達し。不思議な事に、人物の背景としてなら良いという。

でも、その人物もまた、顔がでるといけませんという、昨今のルールである。

めんどくさい世の中になりました。

人の表情やしぐさはなにより味のある題材なのにね。

 

 

金木犀が甘く香っていた。澄んだ秋空の下で、つかのま乙女にもどった我々であった。

どうみても外見は乙女には程遠いのですが(;^_^A