島からもどったら雨が上がった。
もー。こんなふうよね…
愚痴りながらもせっかくきたから、また懐かしいところを回ることにした。
ここは5年前に初めて知った土谷(どや)の棚田。その時は田植え直後の最高のコンディションだったが今回は菜の花でいっぱいだった。一度通り過ぎたが、白人のカップルがいたので気が付いた。こんな片田舎までレンタカーを運転してわざわざ来るなんて、ご苦労だわ。水の張った田んぼの夕陽がよかったでしょうに。
https://willy9.exblog.jp/32569165/
今日はまだ雲が厚くて夕陽は期待できないので先へ進む。
次は在りし日の父ときた鷹島のアジフライの聖地とかいう道の駅。
このアジフライを挟んだバーガーを父が美味しそうにたべていたっけ。
思い出して涙する。
まだ時間がある。友達が有田焼の器が欲しいと言っていたので見に行くことにした。
実に50年ぶり!そうしたら陶磁器パークのようなもの(=アリタセラ)ができていた
茶碗神輿だそうだ
ディスプレイはそれぞれのお店自慢の逸品が並んでちょっと身構えるが、入ってみるとどの店もうるさくついて回ることもない。それどころか誰もいないお店も多々で、自由にみて回れてるからご安心。中国語が飛び交っていたけど、わざわざ日本で買うのねぇ・・・
オシャレな狛犬さん。怒られそうな気がしてコソコソ撮ったので反射がひどい。
ついつい熱心にみていたらいつのまにか閉店の5時を過ぎていて、目をつけていたものが買えなかった。しくじったーーー。
有田は、小学校5年生の時のバス旅行先だった。修学旅行みたいな社会見学みたいなものが毎学年あった。
そこで皆、わずかなお小遣いを握りしめてカゴに入れられた焼きそんじのようなものの中からお土産を買うのだが、私が買ったのはピンク色のアヒルだった。長い間大切にしていたのだが、50余年の間にどこかにいってしまった。
それがあったのー!ここにー!しかも親子になって。
見た瞬間手に取った。
すぐさまお連れ帰りとなりました。猫は翌日伊万里で見つけたので一緒にお連れ帰り。
聞けば当時と同じ窯元さんが今でも焼いておられるんだそうだ。小さなたわいもないものだけれども本当に愛らしくて好きだ。丁寧に守り続けてくれて嬉しい。
翌日帰る日に、鳥にトライしたものの、Googleナビに翻弄された挙句、やっと辿り着いたらスカで、残念すぎるので陶磁器の旅を重ねることにした。
秘窯の里伊万里大川内山へ日本の伝統工芸品伊万里焼・鍋島焼を。- 伊万里鍋島焼協同組合 (imari-ookawachiyama.com)
秘窯の里 大川内山 | 観光地 | 【公式】佐賀県観光サイト あそぼーさが (asobo-saga.jp)
今度は伊万里。鍋島藩御用窯の大川内山へ。ここは鍋島藩のためだけの最高級、贅を凝らした極めて精緻な絵付けの有田焼が作られていた秘窯の里である。
古伊万里というものは江戸時代に作られた、金襴手をメインとする有田焼。
有田も伊万里も、土も製法も同じで、大きくは全部有田焼なのだが、現代の伊万里焼といえばここ大川内で焼かれたものを指すそうだ。
現代は九谷などでもそうだが、窯元独自の作風が選ぶ決め手となる。
この里には関所があったそうだ。その関を通過してすぐの橋である。
いやー、私はイスラム圏のタイルをだいぶ見てきたが、日本の絵付け、焼きともに本当に素晴らしい。タイルというカテゴリではなかっただけであって。
こんな壁が欲しい
三方山に囲まれたこの里は緩やかな登り坂になっていた。今も往時の技を伝える窯元。
風情がありました。
入り口を開けて中を拝見するのはちと勇気がいるが、実は入ってもべつにみるだけでも全然平気だった。
とはいえ、あ、これ好き!と思うものは皆、ため息の出るお値札で、手に取るのも恐ろしくて憚られる。もちろんお手頃なものもありますよ。
たっぷり楽しんだあとはもう一度干潟に寄ったら、引き潮で酷い有様に愕然。わかっちゃいたけど。
通路の向こう、これ全部潟です。水じゃない。
鳥なんか45倍のスコープでも点にしかみえない。
なんでそんなに遠くにいくの~。
ぜんぶ干潟なんだからもっと近くにいてもいいじゃないの~。
諦めて佐賀空港に到着。レンタカーを返却して出発ロビーにあった柳川名物雛飾りとさげもん。柳川は福岡県になるけど、有明海沿岸としては同じ文化圏なのだ。
いわゆる筑後で、だから有明海に近い地域は、唐津とはいろいろと違う。
さげもんと言われる吊るしたお飾りは独特。
華やかですねぇ。
そして締めの写真はいつも通りソウルフード「牧○うどん」。
喉越しの良い、腰がないのにもちもち麺と出汁のきいた澄んだスープ。
甘辛く炊いた肉の具(昨今の物価高のせいかちょっと量が少なくなった気がする)。
最後の1滴まで完食でした。