ラダック カンヤツエⅡ峰遠征記 1

 

7月7日レーに到着した日は、メインバザール近くに投宿。静かできれいな宿だと思ったら、夜中がいけない。オートバイの轟音と犬が喧嘩する声で深夜までうるさかった。

今日から日を追う形で、遠征記を綴っていこうと思う。

 

レーはインドの北北西部のどんづまり、パキスタン・中国・に接する国境紛争地帯である。2年ほど前も中国との小競り合いが報道された。チベットを蹂躙し、ウイグルなど西方民族を圧迫してる中国の政策は個人的に憤りを禁じえない(というか許せない)。吐蕃王国として広大な領土を誇った純粋なチベット文化は、いまやここラダックにのみ息づいているといわれている。

 

7月8日

インド政府は、レー到着3日目までは高所順応の為山行に出ないように指導しているとのことで、我々のエージェンシー「NEO LADAKH」のスケジュールでもこの日は観光でのんびりしてくださいとのこと。インドもラダックも初めての隊員の要望もあり、下ラダック方面(パキスタン方面にやや標高が下がる)へゴンパ巡りにでかけた。

朝9時に予約のタクシーにピックアップされて宿をチェックアウト。

まずはリゾンゴンパへと向かう。

 

 

リゾンゴンパは、ゲルク派で、ラダックでは最も戒律が厳しい僧院なのだそうだ。ここに日本人の写真家が住み込んで作品を制作したというので知られているらしい。

お坊さんもいらっしゃったが、前回のように特にお話したりお茶をごちそうになったりすることはなかった。同行のドライバー、ドルジェさんが大変熱心にお参りしているのが印象的だった。五体投地である。

 

 

 


しかし空はあいにくの曇り空。ラダックらしい色紙を張り付けたような青い空が恋しい。そしてとうとう雨が落ち始めた。

なぜなら。この2日後からダライラマがいらっしゃるからだ。

ダライラマがいらっしゃるときはいつも雨が降るのだそうだ。浄化の雨が。。。。

レーにはダライラマが所属するゲルク派の総本山、スピトゥクゴンパがあるのだ。

 

 

次はラマユルゴンパへと向かう。大きな僧院だ。ここまで車で2時間と聞いていたが、ドライバーのドルジェおじさんは、テクニカルではあるもののとにかく飛ばす。揺れる。怖くてひやひやし通し。さらに私はこのあたりからお腹も急降下。ラマユルでは拝観料が必要だが、窓口でおもわず「トイレはありますか」と聞いて雨のなかすっとんでいった。なかなかつらい時間だった。少々悪いものを食べても大丈夫な鋼鉄の胃腸を誇るわたしが一体どうしたことか・・。

 

 

 

ラマユルをでて、近くのレストランでランチをいただいて、次は名高いアルチゴンパへ向かう。写真は、途中のドルジェおじさんおすすめのフォトポイント、「月世界」。

ラダックはどこに行っても絶景、絶景、また絶景。日本ならこのほんのひとかけらでも観光地化して儲けようと商業施設が目白押しになるだろうに。ここは腐るほど絶景。

 

 

アルチゴンパは10世紀の古い壁画と本堂の3体の仏様が大変有名で素晴らしいものである。前回も訪れたが、今回はさらに立派に整備されていて驚いた。さらにツーリストも多くて見るのも待ちがあったりした。前回は併設のレストランで郷土食をいただいたのを思い出す。今回は駐車場前にできていたアルチキッチンのあんずジュースが気になって仕方なかったが、たくさん詰め込んだ1日で余裕もなく名残惜しかった。

 

 

最後にサスポルの断崖壁画を雨の中見に行ったあと、一路「NEO LADAKH」へ向かう。NEO-LADAKH/ネォ・ラダック: Mountaineering / 登山

 

「NEO LADAKH」はラダッキ(ラダック人)のスタンジン・ワンボさんが代表になっていて、日本人の奥様の悦子さんとともに切り盛りしている古民家ホームステイとオーガニックベイカリーも経営する旅行社である。前回の偵察行の時からお世話になり、ずっとやり取りさせていただいていて、今回の遠征についても様々心を配っていただいた。本当は長年の夢なので一人でやるつもりだったのだが、昨今ラダックは急速な発展とともに物価が信じられないほどうなぎ上りらしく、1人では利益も出ないのか(利益を考えた価格設定はあまりに高額になるのだろう)複数人数にしてほしいと請われ、あちこち募ったところ、やっといつも山行を共にする山仲間がなんとか手を挙げたのである。それでも子育て世代の為、費用は極力抑えざるを得ないのと、体力は問題なくても高度耐性はやや不安が残るのであった。

 

 

 

NEO LADAKHは旅行社としての名称で、宿泊施設としてのホームステイ「にゃむしゃんハウス」は、州都レーより200mほど標高の高いストック村に位置する。ストックにはいまでも王族の末裔が住まわれる王宮(旧離宮)がある。到着して懐かしい顔ぶれと再会を喜びあい、さっそくチャイをいただく。そうなのだ。ラダックはどこに行ってもすぐにチャイ。何度もチャイ。いつでもチャイ。これがうまい。

 

すでに夕食の準備中という時間であったが、停電中。降り続く雨足がどんどん強くなり、一緒にモモ(チベット風餃子)を包みながら、ついにポタポタと雨漏りが始まった。さらにどんどんと激しくなっていく。鍋・釜・皿・コップにバケツ、ぼろ布、あらゆるものを総動員してもキッチンにはいられなくなり、1階(3階建て)の旧干し草倉庫であるパン工房へと避難して、ヘッドライトで夕食。客室もあちこち雨漏りが始まった。翌日も雨はやまない予報とのことで、出発を1日遅らせることになって就寝。だが寝具もカーペットも濡れはじめ、みんな乾いた場所を求めて移動する1夜となった。

もともと乾燥気候のラダックの家は日干し煉瓦でできており、屋根は柳の細枝を何重にも乗せた間に枯草を詰めた、傾斜のないものである。雨に対応していない。ところがここ10年、温暖化の影響で、モンスーンがヒマラヤを超えてやってきては大雨が降るようになったそうだ。

 

 

翌日も降り続く雨。ワンボさんとヘルパーのネパール人さんが濡れながら大きなシートを屋根にかぶせていくのだが、それでも雨漏りは止まらない。排水路をつくったり、さらに大きなビニールシートを実家から借りたり、1日中皆さんは大わらわで働く。そして電気はまだこない。充電もできなければ通信もできない。

我々は暇すぎるので、4000mほどという裏山まで登ってみることにした。

 

 

その裏山から見た景色。インダス川の上流部に位置するラダックは、川沿いは意外にも緑濃い。畑では麦が育ち、豊かな(現時点では豊かすぎる)川が貫いている。その川は、写真ではわかりづらいがピンク色である。土がピンク色の粘土質の土だからだ。染物をしたらよさそうなくらい綺麗なピンク色であった。

そうして1日が過ぎ、翌日はもう、いやがおうでもキャラバンを出さなければならない。またもパン工房にてラダック料理の晩御飯。ラダックに来てから2回目のお風呂(といっても水圧が低い為バケツに汲んだお湯で)を使わせてもらい、電気も途切れながらも復活する中、明日からの荷物の用意をして就寝。

 

 

ストック村はのどかで豊かで、でこぼこ道にはあちこち牛がたむろしている。

牛も馬もロバも、すきなように暮らしていて、土地の人は一目でどこの誰のものかわかるのだそうだ。冬になると飢えた犬が徒党を組んで家畜を襲う。犬だけでなくラダックがその名をはせるユキヒョウも、時折おりてきては牛やヤギを襲うのだそうだ。そこで、丈夫な家畜小屋を作ったりして現地で協力し、人とユキヒョウの軋轢を回避し保護するために奮闘している外国人による(日本人が大きくかかわっている)プロジェクトもある。以前、コスタリカでお世話になった動物スペシャリストさんも、長いことここで活動・観察・日本からのツアーガイドをしておられます。

そんなストック村をあしたは出発。