ラダック カンヤツェⅡ峰遠征記 2 出発~チュ・スキュルモ4100m

やっと雨は小康状態になった。4時半ごろから明るくなるストック村。一人起きてごそごそしてからキッチンに行くと、すでに朝ごはんの支度が始まっていた。

ご主人ワンボさん、ご家庭と事業を切り盛りされている奥様の悦子さん、お子さんのR君とAちゃん、ちょうどインターンとして滞在中のAさん、フランス人のEさん、毎夏お手伝いにきていらっしゃるネパリの男性(お名前が長くて覚えられない)でごはんをいただくうちにスタッフ到着。

山のような荷物の積み込みが始まるのを興奮しながら見守る。すごい物量だ。これが超ミニ版とはいえ、子供のころから憧れのエクスペディションなのだ。キャラバンに出るのだと実感がこみ上げる。

 

心づくしの朝ごはんは、そば粉のガレット(100%自家製)に、摘みたてのサラダ。ナスタチウムや、白いのはルッコラの花だそう。なんて素敵なセンスでしょう。

おいしくありがたくいただく。ストックでは温室でないと夏野菜が育たないそうだ。トマトも青物類もすべて自家製。これが味が濃くて素晴らしくおいしい。やはり乾燥しているからかうまみがギュッと詰まっている気がする。さらに悦子さんはとてもお料理上手で、保存食の数々も必要に迫られるとはいえ、本当においしくて種類もたくさん、すごく勉強になる。

 

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車はインド車、マヒンドラピックアップトラックボレロと思われる。

(ちなみにラダックでは7割がたスズキ車の印象)

目いっぱい荷物を積み込むのはいいが、なんとこれに7人乗るという。私以外屈強の男性陣だが。多少驚きながら皆さんに見送られていざ出発である。

お尻半分も乗らずホルダーにつかまって揺られること2時間弱。もう少しでトレイルヘッドであるチョクドの手前で、大雨による土砂崩れに進路をはばまれてしまった。しかたないので1時間ほど歩くことになる。それはなんということもないが、問題は予定どおりチョクドで馬に荷を積み替えることができないことだ。

そこでサブガイドのソナムさんが先行して馬を呼びに行くことになった。

32歳2児の父である彼はさすが若いだけに早い。あっという間に見えなくなる。

 

我々は小雨の中を、のんびり歩く。

日本人には異世界の絶景に目を見張る。山は思った以上に緑に覆われて本当に美しい。

やがてトレイルヘッドに到着。2時間ほど馬を待つ間、鳥など撮る。

 

カササギはストックでもこのあたりでもうじゃうじゃと群れていた。セッケンドロボウと呼ばれて、石鹸をもっていってしまう迷惑鳥なんだそうである。

 

 

茶色いのはジョビコと思われる。ストックでもジョビオもみかけたが、日本とちがって頭も真っ黒だった。そのうち鳥編で改めてまとめる予定。

 

 

そして。

きた~~~!まってたよ~~~~!

やっと馬たちが荷をつんであらわれた。リーダーの白を先頭に全7頭。食料・プロパンガス・テント5体、食器、我々の山道具など、たくさん背負って歩いてくれるうえに、これで我らと同じく5300mの峠を越えていくのだ。馬たち、なんて偉いんだろうと感動する。

 

 

そこからも小雨の中をトレイルをゆく。この辺りはまだ道も普通でさほどの登りもない。1時間ほどで今宵の泊地、チュ・スキュルモに到着。さっそくテントを建ててくれるのでお客である我らは待つだけ。なんてすばらしい殿様山行か。子供のころから父の書棚でよみふけった、極地法ヒマラヤ登山にでてくるあれこれが、今ここに、超ミニサイズながらも実現したのだ。感激である。なによりも憧れていたのが、着いたら、起きたら、レストで、寝る前に、どんなときにも「メンサーブ、ティ」といって差し出されるお茶。

極地法とは、ものすごく簡単にいうと、大々的なキャラバンを組んで2~3か月かけてヒマラヤ登山を行う方法である(前進キャンプをたくさん作って荷揚げして、ほんの1人か2人のサミッタ―の為に何十人もが下働き的に支える昔の方法で、いまはラッシュ・タクティクスといって、少数精鋭速攻の方法がとられる)。メンサーブとは、女性のご主人様の意。男性では単に「サーブ(サヒブ)」と呼ばれる。イギリス人が定着させた用語およびスタイルである。

今回はシェルパのいる地域ではないし、呼び名は「マダム」だったけど。

 

ちなみに私が一番最初に深く影響をうけたのは、作家北杜夫自身が参加したディラン峰遠征記である「白きたおやかな峰」。

 

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岩にペインティングされているキーワードに感激する。

「LIFE  IS JOURNEY」 人生は旅そのもの。

対岸にはさらに「ENJOY  YOUR JOURNEY」

嬉しいではないか。そこにはいない同志たちの心意気を感じる。