ラダック カンヤツェⅡ峰遠征記 3 チュ・スキュルモ~ラルツァ4700m

 

チュ・スキュルモに3時過ぎに到着してまだご飯までも間があり、歩き足りない。

そこで裏にみえる山に登ってみることにした。というか、まずはこのイワシャコを追いかけ始めてその後ずるずると登って行ったというのが正しい。

イワシャコは前回もたくさん見かけたが、これは近かった。3mくらいまで寄れ、全然逃げない。同行の隊員に何かと説明するのに、雷鳥みたいなもの、というのが的確だったようだ。以前は土地の人の大事なたんぱく源だったらしいが、いまは獲ると刑務所行きです、とワンボさんが笑う。

 

 

この山のふもと、4550mまで登ってみた。誰も踏んでいない場所を行くのは本当に幸せだった。どこをみても絶景が広がる。遠くに馬があそんでいて、野生だろうかとおもったらなんのことはない、われらが7頭のどれかだった。馬たちは仕事をおえて荷を下ろすと、適当に遊びに出かける。草が少ないときは峠を越えて遠くまでいくこともあるそうだが、馬方さんは出発までにどうやるのかちゃんと呼び集めてくる。

 

美しく咲き乱れる花々はみたこともないものばかり。ただし用心すべき植物もあって、とげがすごいのがある。この黄色いのもとげが痛い。

7月から始まるラダックの夏は短い。花が見られるのはほんの2か月間ちょっとくらい。9月半ばにはもう、高所は雪に覆われる。

 

どこをみても大地の彩りと褶曲の露出が美しい。地球ってこうやってできているんだなと実感させられる。インド亜大陸がアジア大陸に合体してその時に押し上げられてできたのがヒマラヤ山脈。このおかげで偏西風が阻まれて日本は温暖湿潤な四季を持つ素晴らしい国土になったということだが、近年の温暖化による偏西風の蛇行で、このあたりにもモンスーンが押し寄せてくるようになったそうだ。さらには氷河の融解による流域の洪水などが問題になっている。今年もウズベキスタンでは52℃、昨年のパキスタンの国土1/3に及ぶ洪水の記憶も新しい。

 

そしてお待ちかね、記念すべきキャラバン初ごはん。メニューはおつまみのポップコーンとスープに始まってオレンジライスにマトンマサラ、美しくかざられたフレッシュサラダ、デザートはフルーツ盛り合わせであった。おいしすぎて暴食してしまい、翌日からさらにお腹を壊す仕儀とあいなった。高所では重要器官に血液を回すために消化力が衰える。よって本来は腹8分目までにすべきなのである。心もお腹も満たされた後は自テントに潜り込んで就寝。

ところで高所順応の為に普通はダイアモックスという薬名のアセタゾラミドを服用する。副作用も当然あるので必ずだれもがというわけではないが、私は通常使用する。これは利尿作用と呼吸を増やす効果があるのだが、とにかく頻尿となる。

そのため夜中に何度も起きるのだが、12時ごろ起きてみると夜空一面にビカビカと星がちりばめられていた。明日は晴れると確信する。

 

そして晴れた。こうでなくては。

オープンエアの素敵な朝食の後、チュ・スキュルモを後にする。本日は4700mのラルツァまで4時間程度とのこと。晴れた中を楽しみながらボチボチ進んでいく。高度順応の為には急いではいけないのである。

 

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ところが急ごうにも急げない。雨と雪解けによる増水で渡渉に時間がかかるのである。普通なら沢沿いにルートがあるところが壁を巻いたりしなければならない。流れも急で靴を脱いで渡ろうという気にならない。

 

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男性陣にはこともなく渡れる距離でも短躯短足の私には無理である。靴を脱ぐつもりでいたが、10本以上もの渡渉のたびにソナムさんとワンボさんは胸ほどもある岩を抱えては投げ、持ち上げては放り、あっという間に橋を作ってくれる。ありがたいことである。とうのたったお姫様扱いでこころもち気分がよろしい。

 

 

サブガイドのソナムさんはザンスカールの出身32歳。達者な英語を話す。ワンボさんはストック村で生まれ育った43歳。ヒンディ、ラダッキ、英語に日本語も全く不自由なく操る。どういう頭になっているのかうらやましい。

お子さんたちも、日本語・ラダッキを瞬時に使い分けて会話している。次女のAちゃんは特に語学に興味があるらしく、インターンのフランス人Eさんについて回ってフランス語を教えてもらっている。

 

 

やがて沢渡りも終わり、後少しで到着という地点。遠くに見えている白い峠が、明日越える5300mのゴンマル・ラである。これまで足で登った最高高度が4900m。私にとっても初の高度となる。どんなものだろう。ちょっとドキドキとワクワクである。この少し上に広がているのが見える台地が今宵の泊地、ラルツァであるが、馬をまちながらここでランチタイムとなる。

 

 

これはランチボックス。インドの弁当箱は有名だ。ダッパーという、ステンレス製の容器を多重にしてとめたもので、非常に丈夫、つまり重い。山ではさすがにそんなことはないだろうと思ったらさにあらず。1重ではあるがしっかりダッパーであった。ほとんど身の回りのものしか背負っていないとはいえ、このなかなか重い弁当箱を持たされてやや意外。

中身は御覧のような内容である。このじゃがいもと人参を馬にやりたくてこっそりポケットにしのばせる。

 

 

食べていると馬が追い付いてきた。彼らもたくさんの徒渉を繰り返すのだが、見ているとやはりあまり濡れたくないらしく、岩があればそのうえに上手に足をかける。

1頭に30~40㎏くらい運ばせている模様である。大事なのは左右の重量バランスのようだ。馬方さんは上手に馬を扱い、さらには重荷を担いで取り付け、そして未明から、あちこちで遊んでいる馬を集めに山を駆け回る。すごい足腰と体力である。体のつくりが違うとはいえ驚愕である。

 

 

そして馬が荷を下ろしているところへ我々も到着。広々とした素敵なサイトである。

がしかし、危険植物もある。

 

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この草がすさまじく、触れただけでビリビリっと電気が走るような痛みを感じる。気を付けるように教えてもらったのに、つい触れてしまい、3日痛みが消えなかった。毒はないようで、これを摘み取って乾燥させ、スープの浮き実にしたりするという。

これ以外にもワンボさんの野草の知識の深さにはいちいち驚かされた。

 

 

馬はさっそく草をたべに散らばるので、じゃがいもをやろうと追いかけるが、近づいたとおもったらすっと先へ行ってしまう。こちらはちょっと登りでもゆっくりでないと歩けないのに、なかなかじらしてくれる。そしてやっと追いついたと思ったら、じゃがいもはいらない、とそっぽを向かれてしまった。誠に遺憾である。

 

 

そうして宵闇が迫るころ、マダム♪と呼びに来てくれて待望のディナーである。わくわくしながらメステントに入る。メステントとは登山隊で食事をしたり会合をしたりする大きいテントであるが、そこの真ん中がテーブル領域にセッティングされている。テーブルといっても食器のはいった金属製の柳行李みたいなものに白いクロスが乗せられているものだ。それを挟んでコック側といただく側にマットがおかれている。

向こう側にコックのロプサンさんとヘルパーのヤン・ペルさん。コックはずっと座りっぱなしで調理に専念するため、ものを取ってきたり洗ったり捨てたりなど、手足となって動くのがヘルパーの主な役目である。サブガイドのソナムさんも一緒に手伝う。

イギリス人が持ち込んだ登山システムもやはり階級が歴然と存在しているようで、見ていると、

馬方 < ヘルパー < コック < サブガイド < メインガイド・オーガナイザー < 顧客

という図式が成り立っている模様である。メインガイド以上が最高位、それぞれ一人でテントも使用するが、他の人はメステントに共同で寝起きする。

よって、食事は我々顧客とメインガイドの3人がまずいただく。見られていると申し訳なくて落ち着いて飲み込めないのだが、我々がもたもたすると彼らの食事も遅くなるのである。

ちなみに、イギリス人によって作られたシステムで重要なものがもうひとつ。それはティップである。これがなかなかのもので、気持ちだからとはいわれるものの最低ラインも示される。物価や生活水準による変化が大きいと思うが、この時の為替レートは感覚ではだいたい1ルピー2円、レーの町中で水が750mlで40円程度、アンズが500gで400円、宿代が4000円、レストランでランチが一人800円くらいであったが、ティップは5泊6日でおおよそ、馬方~コックまでが4000円、サブガイド5000円、メインガイド8000円、というラインであった。つまりこれ以下では申し訳ないということになる。しかも現金で用意しなければならないから、えらい札束になってしまうのである。インドは現行500ルピー札がマックスで、1万円換算だと20枚必要。

 

これはインド式スナックで豆の粉をパリパリに焼いたもの。軽い塩味でおいしい。

名前は聞きそびれてしまった。インドといっても広く地域も様々でひとまとめにはできない。南インドは野菜中心の優しい味らしいし、米中心の地域もあれば小麦粉中心あり、気候も多種多様である。ラダックはチベット文化であるから、伝統食はいわゆるインド料理とは違う。だが世界各地のご多聞に漏れず、いろんな文化の食事も入ってきているようだ。今時はピザが人気ではやっているんだそうだ。

 

これは2日目のメイン、テントクというラダック地方の伝統食で、うっすらカレー味のスープに野菜と肉と小麦粉の練った生地をちぎっていれた煮込み料理であった。これにごはん、おクラの炒め物、ナスの炒め物がついた。毎食なにかしら野菜の炒め物がでる。キャラバンでの料理は圧力鍋である。沸点が低いから。ストック村でさえ普通の炊飯器ではコメが焚けないそうだ。

 

そしてデザートにはバナナパイが登場!拍手喝采である。

オーブンもないのにどうやって作るのか、ちゃんと卵黄で照りがついている。フィリングはバナナとチョコレートクリームでこれが紅茶にあって大変美味であった。隊員はいたく感激し、おいしくておいしくて一切れではあきらめきれなかったらしく、しつこく2日くらいもっと食べたかったと連呼していた。挙句のはてにロプサンにもう一回作ってくれとリクエストする始末である。

 

 

美しい白銀の峰々が残照にバラ色に染まる。静かな、豊かな、大満足の一日がまた過ぎていく。

 

 

いよいよ明日はゴンマル・ラをこえて一気にBC(ベースキャンプ)まで長丁場である。